家の鍵
深夜遅くに放映されてたイタリア映画「家の鍵」。たまたまTVをつけたら流れていたんだけど、見始めたら目が離せなかった。
恋人が難産の末に死亡したショックで、生まれてきたわが子を見捨てた父親が、15年ぶりに障害を持った自分の息子に再会する―というストーリー。(詳しくは→http://www.zaziefilms.com/ienokagi/index.html)
とにかく役者陣の演技、とくに表情が素晴らしい。若い父親のジャンニ、小児麻痺の息子パオロ、二人と病院で知り合う、障害のある娘を持つニコールの、三人の演技が本当に良い。親子の情愛を描きながら、変に演出せずに、淡々としているのがまたいい。
最初は戸惑いと不安げな表情しか見せなかった父親のジャンニが、パオロと接していくにつれて表情豊かになっていくさまに、目が離せなかった。
ジャンニは甘いマスクでモデルのような顔立ちなんだけど、とにかく表情が硬くて…。一貫して明るく自立心が芽生え始めているパオロとは対照的。心理的にも物理的にも、息子にどう接していけばいいのか、距離感が測りきれてない。オロオロ不安げな表情が印象的。きっとパオロ本人に会うまでは、罪の意識とか自分の無責任さを見ない振りして生きてきたはず。(というのも、彼はごく普通の会社員だし、すでに妻がいて、彼女との間に8か月の息子もいる)忘れようとしてたのかもしれない。それが、パオロに会うことで意識せざるを得なくなってきたんじゃないかと思う。
パオロと接していくにつれ、ジャンニにわが子をいとしく思う気持ちが芽生え始めると、徐々にジャンニにも喜怒哀楽が見え隠れし始める。パオロの採血を直視できなかったり、ハードなリハビリが辛いと訴えるパオロに同情したり・・・。込みあがってくる愛情を止められない、目が離せないのだと思う。でも、その愛情は、障害のある子供を持つ苦しさと背中合わせでもあり。機嫌のいい時は、あこがれの彼女の事を嬉しそうに語るパオロも、不意に不機嫌になったり、情緒が不安定になって「家に帰る」と暴れ始める。愛情と苦しみの両方を受け入れなければ、パオロの父親としての責任を果たしたことにはならない。
ずっと映画を見ていると気になるのは、ジャンニの「パオロの親」としての無自覚さだ。パオロが辛いからとリハビリをやめたり、病院を出たりする。最悪なのは、知的障害があるパオロを外出先で一人にさせてしまうこと。(結果、彼は迷子になる)リハビリを止めるのは、病院を出るのは本当にパオロのためになるのか―ということを、彼は理性的に考えていない。普通の少年ならまだしも、身体的・知的障害があるパオロを一人させる無責任さ。悪気があるわけじゃないけれど、やはり彼はまだ芯からパオロの父にはなりきれていない。
そして、最初のころのジャンニは自分の後ろめたさや罪深さを「モノ」や「お金」で償おうとしているように見えた。カフェでステーキを食べるパオロと、何も口にしないジャンニのシーンや、公園でパオロにアイスクリームを食べさせるシーン…。とにかく父子の空白の時間を埋めるために、何かしら与えるジャンニの姿が切なかった。終盤、病院を出た二人はパオロのあこがれの彼女がいるというノルウェーに旅をする。船の上でパオロの杖を海に投げ、彼女へのプレゼントとして買ったケーキを二人で食べあい、ホテルに泊まる。ずっと二人は笑い合っていて、どこか友達のように見える。でもそれが、何か限りある時間のように見えて、私にはかえって辛かった。
ジャンニは何度も何度もパオロを抱きしめ、見つめてキスをする。日本人の私から見れば、まるで恋人にするみたいな愛情表現。でも、これは間違いなくパオロがいとしくて仕方ない、ということ。最初戸惑っていた姿から一転して、全身すべてでパオロを愛する姿にグッときてしまった。
最後のシーンは、考えさせられた。パオロはジャンニを許したのかも知れないけれど、ジャンニは苦しみも背負っていかなければいけない。その覚悟を持ってジャンニは生きていくのか。この二人が生きていく人生が、ジャンニの選択が、良い方向でありますように、と祈るような気持ちになった。
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